「発達障害者である専門職のRE」コンセプト

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私は2014年に「注意欠陥多動」強め「自閉あり」と診断をされた社会福祉士でした。当時は行政委託の高齢者の相談支援事業をしてきましたが、人間関係でつまづき、退職とともに発達障害者の自分と向き合っていきました。

大学卒業以来、あちこちで衝突をしながら、働き続けて来ましたが一旦休職し、発達障害者支援の専門職、精神保健福祉士を目指して、「障害当事者の立場」と「専門職の視点」で生き方を模索していきました。

その模索を記録したものが初代ブロク「発達障害者である専門職のブログ」です。

精神保健福祉士に無事合格してからは、行政委託の精神障害相談事業所で働きました。障害を開示(オープン雇用)するのではなく、障害を伏せて(クローズ雇用)で表向きは働いていました。相談員としてのスキルを磨きながら、日本ではまだ定着していない、発達障害当事者の専門職(ピアスペシャリスト)としての独立を目指して息巻いていました。

その意気込みにあふれて迷走していた時期が2代目ブログ「発達障害者である専門職のインディペンデンス」です。

しかし、当初の勢いとは裏腹に次第に更新は衰えて、約2年間放置をしていました。

自分の発達障害の受容と開示を目指していたはずでしたが、、、

空白の2年間、私は発達障害という自分をクローズにして社会に出ていました。

市から委託された精神障害専門の精神保健福祉士として相談員をしながら、

PTA会長を引き受け、かけもちで発達障害児の放課後等デイサービスで児童支援を行っていました。

クローズにしながらも相談者、利用者には同じ障害を持つものとしての、感情の機微や表現できない想いを読み取ることが出来ました。その人の強みと可能性、本当の願いを理解をして希望を語るなかで、多くの相談者を居場所につなげられました。

自分が障害を開示しなくても、共感し希望を語ることでピア(仲間)な相談支援を行うことが出来ました。

PTAの任期終了とともに、放課後等デイサービス一本にしぼり、副責任者の立場で走ってきました。過激な高学年児童が多く、なぐられ、けられ、罵られることが日常でしたが、こども達の未来の為に必死に向き合ってきました。

しかし、ポシャってしまいました。

利用者と施設への想いから管理者への直言をズバズバ言って施設は良い方向にむかっていきました。

発言への責任・サービスの質の向上を目指して走り続けているうちに、いつしか自分だけが4倍程の仕事を抱えていきました。

合理性を追求するあまり、心に隙やあそびが持てず、浮いてしまう自分を感じながら、こども達からの信頼は厚く、多くの児童から父親の様に慕われ成長を託されるなかで無理をしてしまいました。

私の声かけだけを聞く児童が増える一方で、逆にスタッフとの溝を深めていってしまいました。

そして、キャパシティを超えてミスが出て来たことに対して、ダメ出しや、感情的な叱責を受けて、燃え尽きてしまいました。

それまでは、どんな逆境や苛立ちも前を向いて乗り越える力に変えられたんですが、考える力と意欲を失ってしまったんです。

発達障害受容から4年まっすぐと発達障害の理解と支援の道を進む形で、現場での支援を続けてきましたが一旦とん挫です。

REとは?

タイトルである「RE」とは、その後に続く道の未知数さを表しています。

Recede 「後退」になるのか

Reborn「復活」になるのか、あるいは

Revolution「革命」の道になるのかわかりません。

発達障害者の視点をもちながら支援を行ってきたことを

Record「記録」

Recovery「障害を受容して自分らしく生きる」

ことを目指していきたいと思います。

とりあえずは、自分の目指してきたものを別の形で社会に返す為

Restart「出直し」をします。

追記・サイト開設から1年後の近況

サイトを開設したのが2018年12月末。

仕事で燃え尽きてドロップアウトしてからの迷走で書き綴っていたと感じます。

それから1年後の2019年12月21日現在。

私はなんと公務員をしています。1年とは思えないぐらいの紆余曲折がありました。

当初はサイトで気合を入れて発信をしていましたが、どうにも反響が感じられず、空に向かって一方通行の主張をしていると感じました。

そして、サイト運営だけでは当事者に響かないと感じて、Twitter通じての交流を求めました。

その中で、たまたま開催されていた「関西おっさんおばはんの会」という自助会に参加を皮切りにして交流を広げていきました。

いくつか参加する自助会の中で知り合った人と、グループホーム建設を行うことになりました。

当初は当事者と知りながらも、これまでの経験や資格を評価してくれて、やりがいを持って働いていました。自分の積んできた経験が活かせて、新たな社会資源の開発に非常な意気込みを持って活動していました。

ところが、ある時、人件費面でごまかしがありました。時間をかけて話し合っていた賃金内容が、経営者が議事録としてまとめたものには、大きくちょろまかされた内容になっていたのです。

その時から不安要素がいくつか募り、人を大事にしない視点が浮き彫りになってきました。

そして、私と第三者がTwitter上での揉め事を起こしてしまいました。その仲裁に経営者が出しゃばり、双方の意見を聞かないうちに、裁きを下して来ました。

私には処分として、Twitter上で謝罪を表明しその文面の中に経営者が仲裁をおさめたことをアピールさせ自助会運営から更迭をさせる内容でした。

私としては、一度は納得しかけていたものの、だんだんと不公平な処分に疑問と怒りを感じていきました。揉め事の当事者同士で話し合って折り合いをつけるのが本来の筋で、話し合いを持たないままで一方的な謝罪を課す裁断に納得がいきませんでした。

そもそも、Twitter上での個人の揉め事に必要以上の介入を行い、それを理由に役割を更迭させられる点に、公私を混同した過干渉を感じました。

私の抗弁に耳を貸す事なく絶対に従わなければ信頼関係が築けないと強権に訴えて来られました。

私はその権勢的な姿勢と、聞く耳を持たない持論の正義を押し付ける姿勢に、モラルハラスメント傾向を感じ取りました。

ギリギリのラインでマインドコントロールに陥る様な圧を受けましたが、自分を客観的に見てくれる人の意見に救われて、訣別を果たすことが出来ました。

自覚のないハラスメント感覚は、人を傷つけながら支配をして、都合の良い社畜に変えてしまいます。その一件は従えば、自分が心理的に下僕にさせられる試金石であったと感じます。今となってみると訣別をして本当に良かったと感じます。

そして、私と揉め事を起こしてしまった当事者間では、直接話し合いを持ち、誠心誠意謝罪をさせて頂く事で関係は改善出来ました。相手側の受け止めは処分を下す程の内容と受け止めておられず、そんなことも望まないという感想でした。

したがって、当事者達が望まない結論を、経営者の持論で強制をさせて、自身の裁可に従わなければ圧力をかけて排除をする様な、人物であったのです。

その他にも

賃金、待遇基準の曖昧さがあり、会議で話していたことを後で誤魔化す点。

スタッフの代わりは誰でもいるという発言と感覚、

自助会参加者に症状名の名札をつけさせる提案から伺える当事者への理解不足

圧力に従わない人を排除するやり方

人としてダメなポイントが臨界点を超えたので、離れることにしました。

サポートシェアハウスココロムという名称で八尾で活動を行っていますが、事業内容の資料は前会社からのマルパクリで突込みどころが満載でした。

閑静な住宅街に一件だけ隔絶された陰鬱な様相で建っています。地域密着型のグループホームの役割を理解されていない様子でした。

何より経営者の人を見捨てる視点は、入所までは優しく甘い言葉をかけますが、必要なくなれば人を切り捨てる為、利用者の扱いがどのようにあつかわれるか疑問に感じます。

行政の視点からは多発している障害者虐待の加害者となる可能性を危惧して動向を伺っています。

結果として、サポートシェアハウスココロム建設運動への協力は、まったくのタダ働きで潰えてしまいました。

ところが、捨てる神あれば拾う神がありました。ハローワークからの紹介を受けて市役所に欠員補充が必要となった為に、なんと公務員試験に受かり就職することになりました。

直前までオープンでの働き方を考えていた矢先でしたが、社長ごっこに付き合った代償なのか?

とんとん拍子でクローズ雇用の公務員になりました。

ということで、現在は公務員をやっています。ただ、中での波乱やステップアップについては、また別の機会でお話をさせて頂きます。


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コメント

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